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シューゲイザーという言葉が誕生してからすでに10年以上の歳月が流れた。今や人々の記憶からシューゲイザーという言葉は消えつつあり、それとともにあの時代、一瞬の輝きだけを残して幻のごとく消えていった多くのア−ティスト達もまた、忘れ去られようとしている。
そうした現状の中、シューゲイザーとは何だったのか、そしてまた、後世に伝えるべき資料として、シューゲイザーの歴史を振り返ってみる。

  spaceTO QUICKEN
  <胎動>(1980〜1989)

80年代、イギリスの音楽シーンは『パンク』の反動から、ジョイ・ディヴィジョンやスミスのような自虐的でかつ陰鬱な音が溢れていた。 そんな中、ハッピー・マンデーズやストーン・ローゼズといった若いアーティスト達の登場により、閉塞しきった状況は一変する。 さらに同時期に盛り上がり始めていたRAVE PARTYをきっかけに、『ロック』がダンス・ミュージックとしての新たな方向性を得て、 『インディーダンス』という新たなムーブメントが生まれ、この時期をSecond Summer of Loveと呼ぶようになる。 当時イギリスのマンチェスター出身のバンドが中心だったため、後にこれらは『マンチェスター』と呼ばれる一大ムーブメントとなる。

そんな中一方で、80年代のセックス・ピストルズと言われていたジーザス・アンド・メリーチェインがアルバム「automatic」発表。またその前年にはCreation Recordsよりマイ・ブラッディ・ヴァレンタインがアルバム「isn't anything」を発表。その過激なまでに歪んだ音と、ギターのフィードバックを多用した音作りは、その繊細なメロディー・ラインとあいまって、高く評価される。

そして90年、Rideの登場によってイギリスの音楽シーンは、『マンチェスター』から『シューゲイザー』へと移行する。

automatic
The Jesus & Mary Chain
"Automatic"

isn't anything
My Bloody Valentine
"isn't anything"

  spaceWAKENING
  <覚醒>(1990)

90年代の幕開けとともに、イギリスの音楽シーンを長い間覆っていた暗く陰鬱な霧がようやく晴れ、久々に活気溢れるものとなった。『マンチェスター』に触発された多くのアーティスト達が様々な作品を発表し、またジーザス・アンド・メリーチェインマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのような、これまでにない音作りを目指すアーティストも出てくるようになり、非常に刺激と魅力に満ちたシーンを作っていた。そんな中、にわかに1つのレーベルに世界中が注目することとなる。Creation Recordsである。

80年代から、良質なバンドを多数世に送りだしてきたこのイギリスの小さなレーベルは、そのオーナーでもあるアラン・マッギーの卓越したセンスと手腕により、当時の主要バンドのほとんどがいたと言っても過言ではない。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインプライマル・スクリームティーンエイジ・ファンクラブ。大勢のリスナー逹が、このレーベルのニューリリースを待ちわびていた。誰かに「最近何が良い?」と聞かれれば、皆一様に「Creationのレコードを買っておけば間違いない。」と答えたほどである。そんな絶大な信頼を集める中、さらなる歓喜の渦をもって迎えられたアーティストがCreationから現われる。ライドだ。

1月に赤ライドと呼ばれるシングル「Ride EP」でデビューした彼らは、4月には黄ライドと呼ばれる2ndシングル「Play EP」、9月にはアメリカのレーベルSireよりそれら2枚をカップリングした青ライド「Smile EP」と立続けにリリース(イギリスでは92年にCreationよりリリース)。その蒼々しいまでの焦燥感と切なくも感情的なメロディーライン、そして凶暴なまでのギターの爆音、それらがすぐにでも壊れてしまいそうなくらいに繊細かつ微妙なバランスの中で成り立っていた。さらに同月ペンギンライドこと「Fall EP」と怒濤のリリースラッシュを経て、10月にはアルバム「Nowhere」をリリース。これが後に『シューゲイザー』と呼ばれる流れの一つの象徴とも言える音となり、多くのフォロワーを生む。

こうして迎えた90年代は翌91年、更に歴史的な年を迎える。

Ride EPs
Ride
"Ride", "Play"
"Smile", "Fall"

nowhere
Ride
"Nowhere"

  spaceIMPULSE
 

<衝動>(1991)

Creation Recordsからは、ライドが登場。4ADからは、ペイル・セインツラッシュの登場と、90年の幕開けは実にセンセーショナルだった。そして翌91年、時代は更に加速する。

イギリス音楽シーンは、『マンチェスター』の興奮が覚めやらぬうちに新たなアーティスト達の登場により、さらなるエキサイティングな展開を見せる。Creation Recordsからはスワーヴドライバー、スピリチュアライズド擁するDedicated Recordsからはチャプターハウスが立て続けにデビュー。そしてスローダイブムースリボルバーカーヴといった良質なフォロワーが続く。それ以外にもブーラドリーズテレスコープスらが素晴らしい作品を発表し、キャサリン・ホイ−ルブリーチなど、実に多くのアーティストが現われる。

そんな勢いは海外にも飛び火し、アメリカからはスワイリーズやチャプターハウスが見つけてきたドロップ・ナインティーンズが現われ、更にはダイナソーJRピクシーズといったア−ティスト逹に、多大な影響を与えていった。

この頃になると、イギリスのメディアもこぞって彼らを取り上げた。『マンチェスター』という一大ムーブメントもすでに過去の物となりつつあり、メディアは次なるものを待ち望んでいたのである。そんな中あるメディアが、ひたすら演奏中に下を向いてギターをかき鳴らす彼らのパフォーマンスを見て、『シューゲイザー(Shoegazer=靴を凝視する者)』と称したことから、一斉に各メディアに『シューゲイザー』の文字が溢れかえる。
結果、アーティスト達が望む望まざるを関係無しに、『シューゲイザー』という枠組の中に一括りにされていったのである。しかもそれは皮肉にも、多くのリスナーからはメディアによって作り上げられた虚像としての蔑称というイメージを植え付けてしまったのである。

その頃日本でも、Wonder Release Recordsなどのインディーズレーベルが中心となって、ヴィーナス・ペーターペイント・イン・ウォーターカラーホワイト・カム・カムロコ・ホリデイズといった数々の名バンドを生み出した。そんな中下北沢では、Club ZOO・Shelter・Club 251の3ケ所合同で、日本の『シューゲイザー』シーンの総決算とも言える伝説のイベントも行われ、翌92年にはParcoのQuattroレーベルより「Brand New Skip Decoration」という、日本の『シューゲイザー』シーンの集大成的なコンピレーション・アルバムもリリースされるに至る。

このように、急激に盛り上がっていく『シューゲイザー』であったが、まさに白昼夢であったかのごとく、この後急激に衰退していくことになろうとは、この時点ではまだ誰も気付いてはいなかったのである。

そして91年11月、人類はこの先の音楽史上に計り知れない影響を与える事になる、あまりにも美しく破滅的な、未だかつて誰も聴いたことのない耽美的な世界が広がる、1枚のアルバムを目のあたりにする。

The Comfort of Madness
Pale Saints
"The Comfort of Madness"

Gala
Lush
"Gala"

Just for a day
Slowdive
"Just for a day"

  spaceSUBLIMATION
 

<昇華>

1988年にリリースしたアルバム「isn't anything」で、一躍世界にその名を知らしめたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインであるが、それから2年後の1990年にようやくニューシングル「Glider EP」をリリース。翌91年2月には「Tremolo EP」をリリース。そして11月、前作から3年の歳月をかけついにアルバムがリリースされる。

― Loveless ―

そう名付けられたこのアルバムは、イギリスの音楽シーンのみならず、世界中に衝撃と驚愕を与える。その何層にも複雑に重なりあう音の世界と計算し尽くされたリズムが生み出すグルーヴ感、そして儚くも美しく耽美的かつ破滅的な世界観で包まれたこのアルバムは、結果として『シューゲイザー』をメインストリームへと押し上げた。しかし皮肉にも、それは同時に「Loveless」=シューゲイザーという固定概念を生み出す結果にもなる。

ある意味、まだ誰もが『シューゲイザー』という音楽の可能性と方向性を模索しているなかで、「Loveless」の登場は5年は早すぎたのかもしれない。多くの可能性を秘めたまま、結果的に「Loveless」の登場が『シューゲイザー』の急激な衰退を招く要因になってしまったからだ。とはいえ、これほどの完成度を持った作品があったからこそ、『シューゲイザー』というものが時代と共に忘れ去られることなく語り継がれているのも、また事実である。

ちなみに当時としては、およそインディーズとは思えない膨大な時間と手間と、そして金を費やして作られたこの作品のため、Creation Recordsの金庫が空っぽになったという逸話まで生まれるほど、この1枚のアルバムに費やされた金額は莫大なものであった。事実Creation Recordsはこの作品をきっかけに経営危機に陥いり、このアルバムを最後にマイ・ブラッディ・ヴァレンタインをメジャーに売り渡してしまう。

Singles
My Bloody Valentine
"Glider EP", "Tremolo EP"

Loveless My Bloody Valentine
"Loveless"

  spaceDECADENCE
 

<頽廃>(1992)

92年は『シューゲイザー』というシーンが、非常に活性化しているようにみえた年である。ライドが新作「Going Blank Again」をリリース。ラッシュも初のオリジナルアルバム「Spooky」を、カーヴムース、さらにブラインド・ミスター・ジョーンズキャサリン・ホイールなどが待望の1stアルバムをリリース。アメリカでもメディシンがデビュー。

音楽業界はこぞって『シューゲイザー』に飛びつき、次から次へと新しいアーティストが生まれた。しかしそれらの多くは、ただやみくもにマイ・ブラッディ・ヴァレンタインを真似しただけの、いわばハリボテのようなものばかりであり、そうしたアーティストたちを見る世間の目は厳しかった。

流行りになった音楽というものは、その後に膨大な粗悪品を残して消えていく。『シューゲイザー』もまた、決して例外ではなかったのだ。メディアが煽れば煽るほど、リスナーは急速に『シューゲイザー』から離れていった。

そうした中、ニルヴァーナのブレイクをきっかけにした、『オルタナティブ』の台頭により、その短すぎたメインステージの舞台から『シューゲイザー』は消えてゆく事になる。皮肉な事に、そのわずか数年後には『オルタナティブ』も『シューゲイザー』同様、膨大な粗悪品を残してシーンから消えていく。

Doppleganger Curve
"Doppleganger"

Xyz Moose
"...xyz"

  spaceDEATHBED
 

<終焉>(1993)

この年は、『シューゲイザー』という括りに入れられてしまったアーティストにとっては、まさに不遇の年となる。もはや『シューゲイザー』という単語そのものが、人々にとっては眉をひそめ後ろ指を指す対象でしかなく、まともに聴き入れてもらえる状況ではなく、『シューゲイザー』=『時代遅れ』の代名詞とすらなってしまっていた。

そんな状況で出てきたアーティストの中には、素晴らしいものもある。Creation Records最後の『シューゲイザー』アドラブルや、最後の正統派リボルバーの「Cold Water Flat」など、時代が違えばもっと評価されたであろう不遇のアーティストである。そしてスローダイヴチャプターハウスといった『シューゲイザー』を代表するアーティストが新作をリリースするも、評価は散々たるものであった。

こうした状況がさらに追い討ちをかけ、もはや誰からも相手にされることなく『シューゲイザー』という1つのシーンは消えていったのである。

いつの時代も人々は、音楽に刺激を求めつづけてきた。常に斬新な音を追い求めてきた。しかし斬新な物、刺激的な音というのは、それが普通になってしまえば、なんの魅力もなくなってしまう事がある。 ましてやメディアというものは、常に新しくなくてはならない。そして衝撃的に登場した音楽というものは、その衝撃的な部分のみが誇張され、論じられ、そしてその欠点を追求していく。そうする事によって音楽は進化しつづけてきた。 しかしその一方で、多くの音楽が過去の物として、忘れ去られていった。『シューゲイザー』とよばれた音楽もまた、そんな1つとして過去の時代に追いやられていった。

あれから10年。
『シューゲイザー』が死語として虐げられた時代も終わり、むしろ当時の流行り的な流れとは関係のない今のリスナーによって再評価されるようになった今、当時を知るという意味で、このようなページを作る意義が少しでもあればと思う。そして何よりも、自分が愛してやまないこの音楽が、少しでも見直されるきっかけになれば幸いである。

Against Perfection
Adorable
"Against Perfection"

Cold Water Flat
Revolver
"Cold Water Flat"

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